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感謝を胸に、さらなる飛躍を目指す若き右腕

中日ドラゴンズ鈴木 翔太投手

Teaching period
2016年~現在に至る

2013年のドラフト会議で、中日ドラゴンズから1位指名を受け入団した鈴木翔太選手。
プロ入り後は故障もあり結果を残せないシーズンが続きましたが、4年目となる17年にプロ初勝利を含む5勝を挙げ、ついに大器の片鱗を示しました。
その背景には、オフシーズンから松尾代表と二人三脚で取り組んだトレーニングがありました。
「松尾さんには感謝しかない」と話すその胸の内、この先プロの厳しい世界で生き残るための心構えなど、この1年で大きく成長した鈴木選手の言葉をぜひお聞きください。

聞き手:株式会社フォグランプ 橋本祐介

CHAPTER 01.「今年ダメなら終わり」。強い覚悟を持って臨んだシーズン。

聞き手
トレーニング終了直後でお疲れのところ、インタビューにご協力いただきありがとうございます。本日はよろしくお願いします。(インタビューは2017年12月24日に行いました)
鈴木選手(以下鈴木)
はい、よろしくお願いします!
聞き手
このシーズンオフも松尾さんのトレーニングを受けておられるとお聞きしました。
鈴木
そうですね、神戸では年末に2日間トレーニングさせてもらって、年明けからは今年もオーストラリアへ渡る予定です。滞在期間は10日ほどになるかと思います。
聞き手
2017年のシーズンは鈴木選手にとって飛躍のきっかけとなる大きな1年になったかと思いますが、改めてご自身で振り返っていただけますでしょうか。
鈴木
はい。まず、気持ちの面では「絶対やってやる」という強い気持ちがありました。それまでの3年間で1勝もできていませんでしたし、「今年ダメだったらもう終わり」という覚悟を持ってやろうと思っていました。
春のキャンプからアピールが必要な立場だったので、そのためにシーズンオフの過ごし方から見つめ直しました。それで、松尾さんにオーストラリアでの自主トレをお願いして、いい状態でキャンプに入ることができた結果、一軍に残り続けられたと思っています。開幕一軍には残れませんでしたが、その後すぐに一軍に昇格できたので、まずまずいいスタートを切ることができました。
プロ初勝利もうれしかったですが、一軍で投げられる楽しさを久々に味わえたというのも自分の中では大きかったですね。その積み重ねで5勝できたというのは来年にもつながると思います。その一方で、新たに見つかった課題もありますし、このオフの間にそれを克服したいと考えています。
聞き手
一軍のレベルの高い相手と対戦することが、今まで以上に大きな経験にもなったのではないでしょうか
鈴木
そうですね。今までも何試合か一軍で投げてはいましたが、先発ローテーションに入るのは初めてだったので、同じ打者と繰り返し対戦することで学んだこともありました。改めて一軍の打者のレベルの高さは肌で感じましたし、その中で抑えていくために何が必要なのかを考えさせられました。
聞き手
そんな1年を経て、このシーズンオフにはどのようなことに取り組まれているのでしょうか?
鈴木
このオフはピッチングフォームを固めることに重点を置いています。シーズン中はなかなか取り組めることではないので。松尾さんからは、「トレーニングを受けながら、必要な部分を自分の理想のフォームに当てはめていくように」と指導されているので、それを心がけています。
松尾さんにはシーズン中から遠征先にも来ていただいて、定期的にコンディションを見てもらっていました。そんな支えがあったから、ほぼ1年間一軍で野球ができたと思っていますし、本当に感謝しかありません。あとは一軍の試合で勝ち続けることが恩返しになると思っています。

CHAPTER 02.これまでの道のりと、プロ入り後の苦悩

聞き手
少し話が逸れますが、野球を始められたのはいつでしたか?
鈴木
小学校1年の時に、地元の少年団のチームに入りました。当時は内野手をやっていて、投手を始めたのは5年生になってからでした。当時は投げるよりも打つ方が楽しかったですね。今もバッティングは好きですし、普段の打撃練習も精力的にやっていますよ。
聞き手
聖隷クリストファー高へ進学される際の経緯はどのようなものだったのですか?
鈴木
知人がコーチをしていたので、そこでお世話になろうと決めました。他にもいくつか声はかけてもらっていたんですけど、迷いはなかったですね。
聞き手
その当時からプロ入りは意識されていたのですか?
鈴木
「プロになりたい」という気持ちはありました。ただ、「そのためにどこの高校へ行けばいいか」という発想はなかったです。自分がやるべきことをやっていれば声はかかるはずだと考えていました。
2年夏のある試合で、たまたま球場に来ていたプロ球団のスカウトの前で好投できて以降はずっと見てもらうことができたので、どうやってアピールしようかなどと余計なことは考えなくてよかったと思っています。
聞き手
では、高校の時は向かうところ敵なしというか、自分のピッチングを続けていけば打たれないという感覚だったわけですね?
鈴木
はい、そう簡単に打たれる気はしなかったですね。
聞き手
その後、中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受け入団されることになります。実際にプロの世界に飛び込んで、先輩方から受けた印象も色々あったかと思うのですが、そのあたりをお聞かせください
鈴木
そうですね、一緒にブルペンに入ったりするとそばで投球を見ることもあるのですが、やはり山本昌さん(現野球評論家)が捕手の構えたところにピタリと投げ込んでいるのを見ると「すごいな」と感じましたね。山本昌さんとは一緒に食事に連れて行ってもらうこともありましたし、あとは吉見さん(一起投手)からはランニングやキャッチボールといった基本や、食事などの日常生活に気を配ることの重要性を教えていただきました。
聞き手
偉大な成績を残されている先輩方から学ぶことも多かったと思いますが、プロ入り直後はなかなか結果を残すことができませんでした。当時は、どんな点に苦労されていたのでしょうか?
鈴木
結果が残せないとコーチの方から色々な指導やアドバイスをしていただくのですが、それをなかなか自分で活かせずに投球フォームが崩れてしまって…そこから立ち直るのに苦労しました。松尾さんのトレーニングを受けようと決心したのも、崩れてしまった投球フォームを自分で作り直そうと思ったからです。
聞き手
そこで「松尾さんに見てもらおう」と思われたのはなぜですか?
鈴木
高校時代にお世話になっていたトレーナーが松尾さんの知り合いで、トレーニングの内容が松尾さんの理論に基づいたものだったんです。その縁で松尾さんにも会ったことがありました。その後は特に接触はなかったのですが、プロ入り3年目の春季キャンプの時に再会したのが一つのきっかけでした。トレーニングをお願いしたのはその数ヶ月後でした。
聞き手
では高校時代の段階で「松尾さんのトレーニングはいい」という感覚があったわけですね?
鈴木
そうです。だからトレーニングをお願いしたときも迷いはありませんでした。「このままじゃダメだ」と覚悟を決めて、経済面でも自分に投資することを決心しました。

CHAPTER 03.大きなターニングポイント、そしてすぐに現れた変化

聞き手
松尾さんのトレーニングを受けるようになったのが、16年の6月からとお聞きしました。同年オフのウインターリーグ(台湾)で好投され、17年のシーズンにつながるきっかけになったと思うのですが、それもトレーニングの成果だったのでしょうか?
鈴木
鈴木 もちろんそうです。効果はもっと早い段階から出ていましたよ。身体の動きが全然違うんです。8月から9月くらいには身体のキレが違っていました。
聞き手
動きというのはピッチングフォームに関してですか?
鈴木
ピッチングフォームだけではありませんね。例えば走る時のフォームとか、あらゆる場面での身体の動きが良くなっていると感じました。あとは気持ちの面が変わりましたね。「野球をしていて楽しい」と思えたのは久しぶりでした。結果が出ない時は自分のボールも投げられないし、正直つまらないなと思うこともありましたが、トレーニングで身体が変わることによって、「これなら来年はやれるんじゃないか」という希望の光が見えた気がしましたね。それが9月くらいだったと思います。
聞き手
なるほど。では松尾さんとのトレーニングが大きなターニングポイントになったわけですね。ちょうどオフに差し掛かる時期ですので、「早く投げるチャンスがほしい」と思われたのではないですか?
鈴木
そうなんです。だからウインターリーグ出場の打診があった時には「喜んで行きます」と手を挙げました。そこで結果を残せたのが大きな自信になりましたね。
聞き手
身体の動きがいい、というのは「打たれる気がしなかった」という高校時代と同じものですか?それともまた別のものですか?
鈴木
別のものだと思っています。当時は身体の感覚を意識して投げていたわけではなかったです。今は身体のどこをどう使って投げているのかを考えながら投げられるようになってきたので、追い求めているもの自体が当時とは違うと思います。
聞き手
そのような意識を持って投げるようになったのも、松尾さんの指導のおかげということなんでしょうね
鈴木
はい、そうだと思います。
聞き手
とはいえ、専属トレーナーという形で松尾さんに依頼し、自主トレでは海外に渡るというのは金額的にも大きな決断が必要だったかと思います。特に結果が出ないと球団からの評価も下がる中で、迷いやためらいはなかったのですか?
鈴木
迷いはなかったですね。もう自信しかありませんでしたね、昨年のシーズンオフの頃は。「投資した分は活躍して取り返せばいい」と考えていましたし、それができるという自信にあふれていたと思います。そこまでやってダメだったらやめようという覚悟もありました。
聞き手
ちなみに、オーストラリアでの自主トレはいかがでしたか? それまでのオフシーズンの過ごし方と比べて良かった点を教えていただけますでしょうか
鈴木
やっぱり暖かいところで身体を動かせるのがいいですね。それに設備面もしっかりしていて、投げやすいブルペンもあるのでしっかり投げ込めました。あと、個人的には環境を変えてトレーニングに打ち込めたというのも良かったですね。それまで自主トレは母校のグラウンドを借りてやらせてもらっていたんですが、地元に帰るとどうしても野球に集中するのが難しい面もあって…それでトレーニングに専念できる環境を作るというのも大きな意味がありました。松尾さんにずっと見てもらえるというのも、貴重な機会ですからね。
聞き手
一日のトレーニングの時間はだいたいどれくらいでしたか?
鈴木
朝6時くらいから午後3時くらいまで、毎日みっちりやりましたね。トレーニングはかなりハードでした。本当にハードなんですよ、松尾さんのトレーニングは。これはどれだけ回数を重ねても慣れるものじゃないです。でも、「やらないと後はない」という気持ちだったので、とにかく必死にやりましたね。
聞き手
なるほど。改めてその決意の強さを感じます。かつての鈴木選手と同じように、期待を背負ってプロの世界に入りながら結果を残せずにいる選手も数多くいます。似た境遇の選手に何かメッセージを残すとすれば、どんな言葉を送りたいですか?
鈴木
僕の場合は、他人の意見だけに流されるのではなく、自分で考えて行動することの重要性を学びました。そして、信頼できる人に出会えたら、その人にとことんついて行く。勝負の世界なので、他の選手と同じことだけをやるのではなく、自分に合うトレーニングや練習法を探し求める姿勢が大事なのではないでしょうか。僕自身も、プロ入り直後を振り返ってみるとそこまでの意識を持てていなかったように思いますし、色々な経験を経ることで変われたのかなと感じています。

CHAPTER 04.NEXT 勝負はこれから。新シーズンに向けて。

聞き手
間もなく2018年の春季キャンプも始まりますが、1年前とは違う心境で迎えることになりそうですね。
鈴木
いいえ、アピールしていかなければならない立場なのは昨年と同じですので、「今年はさらにやるぞ」というところを初日から見せていかなければならないと思っています。
聞き手
チームはここ数年、Bクラスに終わり苦しいシーズンが続いています。そんな状況だからこそ、よりやりがいや責任感も生まれてくるのではないでしょうか?
鈴木
そうですね。自分も含め若手の力でチームに貢献できればいいと思います。投手陣では近い年代に小笠原(慎之介投手)や柳さん(裕也投手)がいるので、自分たちの世代が自覚を持って頑張っていきたいですね。
聞き手
新シーズンへ向けての意気込みをお願いできますでしょうか
鈴木
はい、昨季の結果はまだ最低限のものだと思っていますし、得られた経験を大事にしながら、また新しい1年が始まるという気持ちでシーズンを迎えたいと思っています。まずは開幕から1年間ずっと一軍で投げ続けられるようにしたいですね。そうすれば自ずと結果も出ていると思いますし、少なくとも昨季以上の成績は残せるようにしたいです。シーズンオフから継続して松尾さんのトレーニングでもっと身体の動きに磨きをかけていきたいですね。
聞き手
より充実したシーズンになることを願っております。今日はありがとうございました!

profile

鈴木 翔太syota SUZUKI

1995年6月16日生まれ、静岡県浜松市出身。小学1年の時に野球を始め、5年の時から投手を始める。聖隷クリストファー高では1年からベンチ入りを果たし、2年時から主戦として登板。2年夏には同校を初の県大会ベスト4へと導く。春夏通じて甲子園の出場はなし。2013年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。プロ入り後3年間は未勝利に終わるも、4年目を迎えた2017年に、プロ初勝利を含む5勝を挙げ頭角を現す。通算成績は5勝5敗、防御率4.33。183cm、74kg。右投右打。

鈴木 翔太

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