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指導者として大切なのは、「人間力」を伸ばすこと

第一生命グループ女子陸上競技部山下 佐知子監督

WINNING BALL PREMIUM松尾 祐介代表

バルセロナ五輪に出場し女子マラソンで4位入賞を果たすなど、世界トップレベルで活躍し、現在は第一生命グループ女子陸上競技部の監督として後進の育成にあたる山下 佐知子氏。「理想の走りを選手たちに伝えたい」という意向のもと、身体の使い方を指導するトレーナーとしてWINNING BALL PREMIUMの松尾代表のレッスンを導入しています。トレーニングに対する考え方や、社会に影響を与えられるトップアスリートの資質など、同じ指導者としての見解が交差する対談となりました。

聞き手:株式会社フォグランプ 橋本祐介

CHAPTER 01.二人の指導者の出会い

聞き手
本日はお忙しいところ、ありがとうございます。お二人の対談形式という形でお話を進めていきますので、よろしくお願いします。
松尾代表(以下松尾)
よろしくお願いします。
山下監督(以下山下)
こちらこそ、よろしくお願いします。
聞き手
早速ですが、松尾さんは現在、トレーナーとして第一生命グループ女子陸上競技部の選手を指導されています。そのきっかけを教えていただけますでしょうか。
松尾
きっかけは山下監督の知人の方を通じてのご紹介でした。山下監督が求めていらっしゃる理想の走りを実現させるための身体の使い方を身に付けるレッスンを定期的に行っています。
聞き手
山下監督にとって松尾さんのトレーニングはどんなところが優れていると感じていらっしゃいますか?
山下
走る動作に直結させながら、連動感や柔らかさを確保できる点がいいと感じています。松尾さんが来てくださると選手の動きも良くなりますし、私の理想とする走りにも近づくことができるので、すごく安心感がありますね。
松尾
山下監督もたまに選手に混じってトレーニングに参加してくださるんですよね?
山下
ええ、私もトレーニングを体験しないと感覚がわからないですし、選手と意思疎通するには必要だと思っているんです。
松尾
でも、さすがにカンが鋭いですよ監督は。「このトレーニングができていないから、あの選手の走りはここが問題なんだ」などの理解が早いし正確です。
聞き手
山下監督にとっても様々な発見がもたらされているようですね?
山下
はい、私も色々と新しい発見がありますね。例えば、私が今、指導している上原(美幸選手)の走りを見ていると、彼女のような大きな動きをする選手の個性を阻害したくないと思うわけです。彼女の場合はまだ年齢も若く、その時点で筋力系のトレーニングをどの程度させるかの判断が難しい。そこで、柔らかい動きを習得できる松尾さんのトレーニングを導入するとちょうどいいバランスになる。
松尾
もちろん筋トレや走り込みも大事ですけどね。私が最初にトレーニングを始める段階では、あまり筋力系のトレーニングはやらないんです。すると今度は監督やコーチの方も「筋トレはやらなくていいのでは?」と思いがちなのですが、必要な場合もあります。アスリートとして必要な身体がないと世界では戦えませんからね。
ただ、筋トレだけで強くなれるのであれば、今までもっと頭角を現す選手がいたはず。そうなっていないという現実が、競技能力が失われないようなトレーニングをやっていく必要性を物語っていると思います。

CHAPTER 02.「ダイナミックなフォーム」だった、山下監督の現役時代

聞き手
続けて、山下監督の現役時代を振り返っていただきたいのですが、今ご自身の中ではどのような印象が残っていらっしゃいますか?
山下
現役時代は怪我も多かったですが、過ぎた事って、苦しかった事ほど「良い想い出」として記憶に残ってるんですよね。
私はずっと自分自身のことを「素質がない」と思い込んでいたんですね。身体も大きい方ではなかったですし、スピードも足りないと思っていました。ただ、こうして指導者になってから当時のことを思い返してみると、まだケアの方法なども確立されていないような時代を過ごしながらも長く競技を続けてこられましたし、スピードも私が現在指導している選手たちと比べても見劣りしないことにも気づきました。そうやって世界のトップクラスに混じって戦い続けられたことを考えると、自分が思っていた以上に素質には恵まれていたのかもしれないですね。
聞き手
松尾さんは山下監督の現役時代の走りをご覧になったことはありますか?
松尾
もちろん、ありますよ。印象としては、身体の小ささを感じさせないような走りですよね。いい選手の特徴は「足が長く見えること」だと思っているんですが、まさにそんな感じです。小さな身体からエネルギーを生み出すために、身体全体がうまく噛み合わさって、ダイナミックな動きになっていたんだと思います。
山下
でも、私自身はずっと「ピッチ(走法)で走れ」って指導されてきたんです。「腕はコンパクトに、足はピッチで動かせ」とずっと言われていました。ただ、もともと上に飛ぶような走りをするクセがあったので、コンパクトなフォームを意識することでちょうどよかったのかもしれませんね。
松尾
「ダイナミックな動きを」と言われていたら、うまくエネルギーを生み出せる走りになっていなかったかもしれませんね。
山下
中学や高校時代はもっと荒削りでしたよ。あらかじめ持っていた筋力をベースに、若干コンパクトな走りを心がけることでちょうどいいバランスになったのかな。

CHAPTER 03.松尾代表のトレーニングがもたらすもの

聞き手
もし、現役時代に松尾さんのようなトレーナーと出会えていたら、もっと可能性は伸ばせていたと思いますか?
山下
とことん徹底してトレーニングをしていれば、ぜんぜん違う結果になっていた可能性もあると思います。現役時代も自己流で簡単な筋力トレーニングみたいなものは取り入れていましたけれど、指導者の本格的なトレーニングを導入していたら、きっと違ったと思います。
バルセロナ五輪のときは、実は疲れが少したまった状態だったんです。もし、そこでコンディションを調整するようなレッスンを受けられたり、自分の身体の動きを感覚的に理解して走りを修正したりすれば、それこそメダルに手が届いていたかもしれませんね!それだけ、松尾さんのトレーニングには可能性を感じていますよ。
松尾
オリンピックで戦うレベルの選手になると、ほんの少しの異変で結果に差が出ることがあります。私も色々な競技の選手を見ていますが、マラソンに限らず、高いレベルになればなるほど少しの差が大きな結果の差になることがあるので、選手自身が細かいところにまで気を配れるような感性を育てていきたいと思っているんです。常に自問自答しながら競技生活を送れるような習慣を身に付けてもらいたいですね、「提供されたメニューをこなす」だけでなく。
それから、選手の「理解力」を伸ばす重要性も感じています。指導者が話す言葉の意味を全て捉えるって、選手たちにとっては難しいことだと思うんです。ただ、指導者と選手の間での「あうんの呼吸」のようなものが生まれれば、少し教えただけで選手のパフォーマンスがガラッと良くなるなんてこともあります。同じことを伝えたとしても、選手の理解力が高まることで受け止め方も大きく違ってきますからね。
山下
なるほど…指導者としてコミュニケーションの重要性はよく理解しているつもりですが、結局どこまで深く理解できるかは教える側と教わる側の双方によりますものね。選手には、身体の感覚をきちんと言語化して伝える表現力を身に付けさせなければいけませんね。
スピードスケートの小平奈緒選手はそのあたりをすごく重要視されていて、結城(匡啓)コーチが重点的に指導されていると聞きました。細かいことでも身体のことを正しく伝えることが、コーチと選手が互いに通じ合うためには欠かせないと思います。単に「調子がいい、悪い」だけでなく、「ここがこういう感覚だから良くない」というように具体性を持たせる表現が必要ですよね。
松尾
選手の発信力が向上すると、出てくる言葉も違ってきますね。例えばインタビュー記事を読んでいても、優れた選手には独自の感性が備わっていることがわかります。世界のトップクラスの選手であればあるほど、その感受性やセンサーは発達しているように感じますね。
聞き手
ちなみに、山下監督の現役時代はコーチの方との関係性はどんなものでしたか?
山下
フォームのことで相談すると怒られましたね。私自身、あれこれ考えすぎてしまうタイプだったので「考えすぎるな」と。恐らく、深く分析しすぎることで調子を狂わせてしまうのを避けたかったんだと思います。 選手とどう接するかは、それぞれの個性や性格に合わせなければならないでしょうね。その上で、どれだけ深みのある分析・指導ができるか。そして、どこまで実戦に結び付けられるかが重要だと思っています。

CHAPTER 04.「人間力」こそがトップアスリートに求められている

聞き手
お二人にお聞きしたいのですが、「よいトレーニングとは何か」という答えにはたどり着けましたか?
山下
いいえ、それは指導者を続ける限りは模索し続けることになるでしょうね。たとえ同じ選手を見ていたとしても、昨日と今日では状態が違うので、「同じ指導」では通用しませんから。
松尾
私も同じですね。指導って、身体のことや競技のことだけじゃありませんから。世界で戦える選手や社会に影響力がある選手、いわゆるトップアスリートになるには心技体それぞれの面で高いレベルが求められますから、簡単に極められるものではありません。
山下
本当にその通りですね。スターと呼ばれる人はある程度長い期間にかけて人の目に触れる存在にならないといけませんから、そうなると「継続」が大事ですよね。
松尾
一時的に何かが突出してブレイクする選手はいても、それを維持するのが難しいんですよね。
聞き手
アスリートとしてはつい、心の部分よりも競技力のアップを優先的に意識してしまうのではないかと思います
山下
実は私も心の部分の重要性に気づいたのは割と最近なんです。以前は「人間力が大事」だとか「内面を磨こう」などと言われても「それはキレイ事でしょ?」なんて思うこともありました。しかし、結果を残してさらにそれを継続させていくには、調子が悪い時にどれだけ腐らず努力できるかとか、ライバルとなる選手が出てきた時にそれをどう受け入れて自分の糧にするかなど、人間としての根本の部分が問われるんですよね。そう考えるとトップアスリートになるには「人間力」が欠かせないと思うようになりました。
聞き手
松尾さんが他にも重視されていることはありますか?
松尾
頭ではなく、身体で理解することを意識づけていきたいですね。頭で理解しようとしても選手には難しい部分も多いと思うので。
世の中全体を見渡しても、知識だけを頭に詰め込んで満足してしまうケースが多いですから、身体で理解することを浸透させていきたいですね。
山下
本当にそうですよね。知識はインターネットで調べればいくらでも手に入りますけど、得た知識を腹に落とし込めずにいる傾向にありますよね。
松尾
情報量が多いですからね。私は「このメニューをやって」と一方的に指導するのではなく、まずは身体と会話させるところから始めます。すると最初はトレーニングの内容も理解できないことが多いのですが、くり返していくことで私が話す内容も徐々にわかってくるんですね。そんなプロセスが、情報のあふれる今の時代には必要なのかもしれません。そうすることで、色々な情報から自分が取り入れるべきものを選択していく力も身に付いていく。
山下
色々な情報を整理して自分に取り入れていくには、「私はこれがしたい」という明確な目的意識が必要ですよね。今の自分の課題がこれ、どこで困っているという問題点が明確になっていればいるほど、情報の取捨選択も正確になる。漠然と「いいトレーニングはないかなあ」「オリンピックに行きたいなあ」などと考えているだけでは、迷いも生じますし選択も誤りがちになります。そこは指導者も一緒になって、「大事なのはここだよね」と悩みを紐解いてあげる作業が必要なんでしょうね。

CHAPTER 04.二人は今後、どんなビジョンを?

聞き手
お二人は今後も協力体制を取り続けていかれることかと思いますが、将来的にどのようなビジョンを描いていらっしゃるかをお聞かせいただけますでしょうか。
山下
松尾さんはうちのチームの選手に対して「こうしたい」という思いはあるんですか?
松尾
常にチームに帯同できているわけではないので、どうしても限られた時間にはなってしまいますが、個々のレベルアップだけでなく、先ほどの話にもあった「考え方」などの部分も植え付けていきたいと思っています。
山下
もし「この選手はこういう指導をすればもっと伸びるんじゃないか」というような考えがあれば、どんどんご意見をいただけるとうれしいです。
私からぜひお願いしたいのは、トレーニングに対するアドバイスですね。オリンピックでメダルを取りたい選手に対して、アフリカ勢の選手のフォームを見ながら違いを解説して、「このレベルに近づくには何が必要か」を松尾さんから直接説明していただければ、選手の可能性もグッと広がると思うんです。
松尾
こうしてトレーナーとして協力させていただいている以上、第一生命グループ女子陸上競技部の選手の皆さんが日本の陸上界のトップに君臨するところまで目指していきたいと思いますし、世界で活躍する選手を輩出することで、スポーツを通じて日本を明るくしていきたいと思います。
山下
「女子マラソンは元気がない」と言われていますが、社会全体から関心を持たれる選手が出てきてほしいと思います。そのために着手すべき点は色々とありますが、松尾さんのご協力もいただきながら指導していきたいですね。
聞き手
本日はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました!

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